茨城東海岸

難病を始め病気の宝庫ですが、出かける事と花や美術館など美しい物が好きです。

カテゴリ: 歴史とか

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茨城県土浦市

沢辺郵便局 風景印

小野小町がデザインされてました。




郵便局の近くに小野小町の里があり

市内に小野小町の墓もあったりですが

小野小町は全てがミステリアスな歌人で

お墓も全国に存在してます。

その為に今回は

「小野小町の墓はなぜ全国にあるのか?」と検索しました。

その結果、以下の記事が個人的にピンと来ました。







謎多き小野小町のお墓の場所はどこなのか?


生まれた年も場所も、

晩年を過ごした場所や亡くなった年も不明という小野小町。

系譜を辿ると、お祖父さんが小野篁で、

お父さんはその息子の小野良真ではないかとされていますが、

それ自体も本当なのか解明されていないのだそうです。


そんな謎多き小野小町ですが、

お墓があった場所も正確には分かっていません。

一応、お父さんの小野良真が

出羽国(今の秋田県)で役人をしていた事から、

小町も秋田県で生まれたという説はあります。

秋田県と言えば「あきたこまち」というお米が有名ですが、

その名前の由来はもちろん、小野小町その人です。

小野小町の最後ですが、故郷に帰る途中、

宮城県の大崎市で亡くなったと言われています。


この地に小野小町のお墓は残されているのですが、

他にも小野小町のものとされるお墓は

なぜか日本全国に残されています。

それこそ東北の宮城、福島から始まり、

栃木、茨城などの関東地方。


中部の愛知や近畿の京都、和歌山、滋賀。

鳥取、岡山や山口などの中部地方まで、

挙げたらキリがありません。

ただ、小野小町の生きた当時は、

まだ風葬も当たり前にあった時代でもあるので、

お墓自体ないのでは、という説もあるようです。





歴史はロマンで一杯ですね〜








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茨城県つくば市

つくば小田郵便局 風景印

小田城跡がデザインされてました。


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つくば小田城跡歴史ひろば

茨城県つくば市にある中世(鎌倉時代〜戦国時代)、

常陸国南部を領有した小田氏の居城だった城が小田城。




小田氏

小田氏の祖・八田知家が文治元年(1185年)に

常陸国守護となった際、居館を構えたのが始まりで、

戦国時代には小田氏治が攻防戦を繰り広げました。

現在、小田城跡歴史ひろばとして公開されています。

鎌倉時代、源頼朝から信任された

小田氏の祖・八田知家(はったともいえ=宇都宮宗綱の四男)は、

初代の常陸国守護に任ぜられ、この地に居館を築いています。


戦国時代には、

城主・小田氏治(おだうじはる=小田氏最後の当主)は、

常陸の佐竹義昭・義重父子や

下総の結城政勝・晴朝父子、越後の上杉謙信、

小田原の後北条氏らと対峙し、

小田城の攻防戦で、何度も落城し、

その都度、土浦城、藤沢城に逃げています。


戦をすれば負ける小田氏治

北条氏、結城氏、上杉氏、佐竹氏との戦で

20敗はした勝てない戦国武将。

戦略がポンコツなので勝てないけれど

家臣や農民にはとても愛されていたので

勝てないのに戦のたびに

小田氏治の元に人が集まり戦に向かう

戦国武将の中では非常に珍しい武将。


負けたとは言わない

追われても絶対に切腹をしない負けを認めない

戦国武将が小田宇治。

最後は徳川家康の次男、結城秀康が土浦城に

入城して小田氏治は徳川の傘下に入り

15代続いた小田氏は滅亡

小田氏治は出家して天寿を全うした。








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ストロベリーキャンドル

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個性的で可愛いストロベリーキャンドル

いばらきフラワーパークに行ったときに

咲いていて見惚れてました。


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ストロベリーキャンドルには、

「胸に火を灯す」「素朴な愛らしさ」

「幸運を呼ぶ」などの花言葉があります。

胸に火を灯すという花言葉は、

真っ赤な花色がキャンドルの炎を

連想させることが由来とされています。


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矢車菊

暑い時に青い花を見ると心が癒される。









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茨城県石岡市

大増郵便局 風景印

善光寺楼門がデザインされたました。


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善光寺楼門

国指定重要文化財


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善光寺の来歴を綴った「善光寺縁起」によると、

1501年(文亀元年)3月当時、

小田城主であった小田成治の母堂が

善光寺如来を深く信仰していて、

万代安穏の地を選んで

この地に建立したと伝えられています。


楼門の正確な建立時期は不明ですが、

頭貫や木鼻などの見られる絵様、

繰形などから判断すると、

明らかに室町時代中期の特色を示しているとされます。

県内最古の木造建築と言われるこの楼門は、

二階の軒以上を欠く未完成のものです。

しかしそのどっしりとした佇まいは、

長年の風雪を乗り越えてきた歴史の重みを感じさせます。


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筑波山を中心とした

筑波山系を望む長閑な場所。


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小田山へ伸びる山並みが美しい場所でした。



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アリッサム

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水戸市植物公園で見かけました。

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もりもりして美しく可愛い。

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白の世界

小さな花が集まってる。


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ネモフィラがキュート。

写真はミクロの世界をマクロで見れるから

目が悪い私も楽しいです。











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茨城県水戸市

弘道館

企画展「渋沢栄一と弘道館」

開催期間

令和3年2月13日(土)~令和3年12月19日(日)


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大河ドラマ「青天を衝け」の主人公である

渋沢栄一は、大正5(1916)年5月28日、

関東・東北・北海道感化院長協議会出席のために

水戸市を訪れました。

 その際、当時の物産陳列館や

弘道館の孔子廟・館内を見学した後、

講演を行っています。


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この展示では、

弘道館における講演の記録を紐解きながら、

渋沢栄一と水戸との関わりを紹介してます。


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渋沢栄一の何が凄いの?

・貯蓄とは将来を楽しむため
現在の享楽を犠牲にするものだ

渋沢が若い頃大きな借金をしていたようで、
その大きな借金を倹約をして完済したそうです。
その教訓から、
貯蓄の必要性を説いたのかもしれません。


・倹約すればよいとはかぎらない

上記の事と矛盾していますが、
人は出費が減ると少ない収入で
よいと考えるようになり、
向上心が無くなるようです。
それを国に例えると
国税が減り国家が貧しくなるとの事。
そのため、倹約はしつつも
身の丈に合ったお金の使い方をするが良いそうです。


・社会のために尽くす者に対しては
天もまた恵みをあたえる

自分の利益だけを追っていくと人に恨まれるだけです。
同じ設けるなら社会のために働いて
設ける事を心がけましょう。



戦後の昭和、平成生まれの私たちは、

生まれながらにして経済的インフラが

整った状態で生活をしているので

今の状況に違和感を感じませんが、

その当たり前の状況の基礎を

明治の頃に作り上げたのが渋沢栄一です。


もっとわかりやすく言うと、

孫正義・スティ-ブ・ジョブズ、

マークザッカーバーグなどの

インターネット上のプラットホームを構築していった人を

すべて足したレベルと考えると

渋沢栄一がとてもすごい人だと言う事が

想像できるでしょう。

以上、ネットから引用しました。











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茨城県笠間市

笠間石井郵便局 風景印

楞厳寺(りょうごんじ)の山門がデザインされてました。


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国指定文化財 楞厳寺山門

今回は重要文化財について

ネットから説明を探して来ました。


「文化財」と聞いて、

まずどんなものを思い浮かべるだろう。

美術館にあるさまざまな芸術品や、

観光地などで見かける古い建物や史跡ならば、

目に見えるものなので馴染みがあって分かりやすい。


ほかには、演劇や音楽、

各地の伝統的な祭りなどは

形としてはっきりしないものだが、

これも文化財と呼ばれているもののひとつである。

歴史や価値があるために、

保存や保護される対象物というのが

文化財における一般的なイメージだろうか。


日本において「国指定等の文化財」として

数えられているものは、

国宝だけでも1,101件存在しており、

そのうち878件が美術工芸品で、

223件が建造物である。

また、重要文化財になると13,110件が登録されている

(文化庁発表、平成28年9月1日現在。


重要文化財の数は国宝の件数を含む)。

この「国宝」や「重要文化財」といった分類について、

どういった基準で整理されており、

どういう保護や保存がなされているのか…

明確に説明できる人は多くないのではないだろうか。


そもそも文化財とは、

人類の長い歴史の中で生まれ育ち、

守り続けられてきた財産の総称。

美術品から伝統芸能までその幅が多岐にわたるのは、

人々の生活とも密接に関わってきたためであろう。


その中でも保護の対象とされているのは、

専門家による調査や審議会による選定と

諮問答申を経て、

歴史・技術・学術的な価値などが

確かめられたものであり、

価値が高く優秀と認められたものになる。




私が説明するより分かりやすかったと思います。



重要文化財に対して

時々、耳にする登録有形文化財とは

一体、何だろうと思うと思います。


国宝や指定文化財は改築などの

イノベーションは行う事が出来ませんが

登録有形文化財はある程度、自由に改築が出来るので

古民家カフェや雑貨店へ転用が可能です。

登録有形文化財の説明もネットから引用しましたので

読んでみて下さい。




登録有形文化財とは?

国宝や重要文化財など、

国や自治体が「指定」する文化財保護の制度とは別に、

所有者が自ら申請することで「登録」される

文化財の制度にのっとって定められた有形の文化財。


建造物と美術工芸品の分野がある。

1996年(平成8)に文化財保護法が改正され、

登録有形文化財が制度化されて以来、

建造物は毎年、3~4回ずつ、

1回に100~200件ほどが登録され、


 2006年(平成18)からは

美術工芸品の分野でも登録が始まった。

2019年(令和1)8月時点で、

建造物の登録は1万2121件、

美術工芸品の登録は16件にのぼっている。


 国や自治体が「指定」する文化財になると

「釘(くぎ)1本自由に打てない」など

所有者にさまざまな制限がかかり、

指定されるのを敬遠するケースもあったことから、

保護だけでなく、ある程度所有者が自由に改変し、

活用もできる新たな文化財のあり方を

目ざして創設された制度である。


 登録有形文化財(建造物)の登録基準は、

「建設後50年を経過している」もので、

かつ「国土の歴史的景観に寄与している」

「造形の規範となっている」

「再現することが容易でない」の三つの条件のうち、

いずれかに当てはまるものとされている。


登録を希望する場合は、

所有者と地元自治体の教育委員会との

連絡・調整を経て、専門家による

調査を行ったうえで、文化庁に申請する。


 登録されると、保存・活用のために必要な

修理の設計監理費の2分の1が国から補助されたり、

家屋の固定資産税が2分の1に減免されたりするなどの

優遇措置がある。

なお、火災、地震による倒壊、所有者による取り壊し、

重要文化財への指定などで、

登録を抹消(まっしょう)されることもある。





重要文化財と登録有形文化財の違いが分かったでしょうか?

この差を分かってると

文化財を見た時に面白みが違って来ます。









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