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茨城県水戸市

水戸石川郵便局 風景印

ハガキの風景印がかすれてしまい

コメントを頂きました、この様な対応は嬉しい。


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今回は先日

見に行った展示会の時に頂いた

うさくまシールの後ろにも押印をお願いしました。


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こちらにも押印して頂き

とても、嬉しかったです。




風景印のデザインは

第19代横綱・常陸山山谷右衛門像

全く知らなかったです。

わからないので調べてみました。

力士。出羽ノ海に入門。

明治32(1899)年入幕。

順調に昇進し、36年好敵手である梅ヶ谷と共に

第19代横綱となる。相手に相撲を取らせてから、

反撃に転じる相撲を得意とし、

柔の梅ヶ谷、剛の常陸山として角界の隆盛期を築いた。

150勝15敗22分2預131休。大正3(1914)年引退し、

出羽ノ海襲名。出羽ノ海部屋を角界随一の大部屋へと育て上げた。

力士の社会的地位の向上や国技館建設にも貢献した。

以下、水戸商工会のホームページ参照

武道館の敷地内に

明治の名横綱「常陸山谷右衛門像」が建っている。

第19代横綱、常陸山(本名:市毛谷)は

三の丸で産まれ、水戸中学卒業後、早稲田受験のため、

京都の叔父のもとへ。

しかし、本人は相撲人となることを終生の夢としており、

叔父に希望を打ち上げた。

叔父は京都武徳殿の初代館長で、

武術に対する理解はあったものの、

当時は芝居役者と相撲取りはいやしい職業と差別されており、

武家出身の谷は父の承諾を望めないものの、

叔父への説得を続けていた。

ある日、叔父が武徳殿の池の畔にある

約三十貫(112.5キロ)を指差して

「あの石を持ち上げることができたら望みを叶えてやる」と

いったところ、谷は書生姿で高下駄を履いたまま、

その石を軽々と持ち上げてしまったという逸話が残っている。

その後、当時の出羽海部屋を預かっていた

水戸出身の五十嵐に弟子入り。

18歳で初土俵を踏み、明治36年、23歳で横綱となった。

強豪横綱梅ケ谷との名勝負は今もって語り継がれている。

梅ヶ谷が正攻法と鋭い出足で追い詰めるものの、

常陸山自慢の豪力によって、

梅ヶ谷の必死の猛攻が一撃で覆ってしまう場合が多かった。

梅ヶ谷が前日の故障のため休んだことで

取り組みが不成立となると、

観衆の怒りが鎮まらず大騒ぎとなり、

検査役が土下座して

その場を収めたこともあるほどの人気取り組みであった。








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