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茨城県石岡市

常陸風土記の丘

鹿の子遺跡


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縄文時代から鎌倉時代までの住宅が並んでる

常陸風土記の丘の中の有料エリアです。


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石岡市は常陸国の国分寺が置かれた地

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現在は水戸が茨城県の県庁所在地ですが

古代は石岡市が常陸国の中心でした。


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国分寺が置かれると周囲には

中央から派遣された官僚が住み

その周囲には街が形成されます。


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その街のことを国衙と呼びます。

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その国衙跡が鹿の子遺跡(かのこいせき)と

呼ばれて保存されてます。


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古代の土壁など

建築物は全て再現された物ばかりですが

よく出来てます。


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住宅の鍵は今とは全く違うので

どう使うのかな?

触っていいのか迷ってしまい

触れないです。


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昔だなと感じる定番ですよね。

国分寺は地方の予算を使わせて

勢力を衰えさせる事が目的に

すべての国に仏教で平和を何たらと言う口実で

作らせたと教科書には書いてますが

嘘です・・・

本音と建前です。

歴史はこうして学校では嘘を教えるので

なぜ?どうして?と疑問に思う事が

歴史はとても重要な入り口です。


まぁ真面目な人は教えられた事は本当だと

信じてしまうけれど

私の様にその事が疑問に感じて本当なのかな?と

感じる捻くれた性格がそもそも問題だとも言える。

国分寺建築には尼寺と五重塔も一緒に建築する

決まりがあり周囲に国衙と呼ばれる官僚の職場と住居も

建築しないとならない

そのすべての予算は地方が払うのです。

そうして聖武天皇は地方の権力を弱めて

中央集権政治を確立する基礎を作っていったのです。

古代は日本は確か55の国が集まった連合王国だったので

55カ所に五重塔が当時はあったとは

今では信じられないですよね。

皆さんのお住いは以前の国名は

知ってるでしょうか?


国分寺がどこにあったのか

その史跡巡りはロマンに溢れていて

私の歴史ロマンは始まった様な物です。

現在は国分寺は影も形もない

国衙も存在してない。

ない物から何かを知るのは想像力で

みんな色んな事を想像するので面白いです。










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