茨城県阿見町
阿見青宿郵便局 風景印
予科練平和記念館
予科練とは「海軍飛行予科練習生」の事で
零戦に搭乗するする若い軍人を育てる練習場の事です。
変わったデザインの公共施設です。
製作したのは全国に拠点を持つNOMURA
予科練平和記念館のデザインが受賞したのは
「ディスプレイデザイン賞2010」大賞
「JCDデザインアワード2010」金賞
「第44回日本サインデザイン賞」入選
「第29回ディスプレイ産業賞(2010)」特別賞
予科練は志願兵から成り立った事になってるが
予科練に行かないかと上官から言われたら
事実上、断ることは出来ません。
名目上は志願とされてますが
断ると地元の家族までが非国民として扱われるので
まだ幼い大学生が地元の親や兄弟のことを思うと
志願するしかないんです。
飛行機の操縦は難しく時間がかかるので
優秀な大学生に声をかけて
全国から集めて来て日々飛行訓練をして
操縦できるようになると
鹿児島に送られ沖縄へと出兵していきます。
戦争末期になると戦況も悪化してきて
時間をかけて操縦を身につけて飛び立っても
何の成果も出せずに沖縄の海に沈んでいった
若い命と零戦
海軍が考えたのは
敵艦を沈める事ができないのなら
零戦も命も勿体無いので
零戦ごと敵艦に体当たりすれば成果が出るはずだと
日露戦争の時に特攻した飛行機が戦果を上げたことを
日本海軍は持ち出して世にも恐ろしい
特攻という作戦を行うようになってしまった。
敷地内に潜水艦の特攻兵器「回天」も展示してあります。
死ぬことが美学
テレビで放送する特攻兵士の遺書
あれはオフィシャルの遺書
軍の検閲があるので決して本音は書けない
戦場に行く兵士や特攻に出撃する
少年兵士達は日記やメモには
「生きたい」そう書いてる。
狂った時代だった・・・
私が歴史に興味を持ったのは第二次世界大戦からです
単純に飛行機がカッコいい
戦艦や空母がカッコいい
そこから歴史に入ったのです。
死ぬとか生きるなんて考えたことなど
その時の子供の自分は考えた事は
一欠片もありませんでした。
わたしの歴史好きはのスタートは普通でした。
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コメント
コメント一覧 (34)
いやはやこれはまた珍しいもの。
これも一つの建造物。
変わった形しててそばに寄り付き、
それも初めてだと見たくなる。
いいもの見せていただきました。
体調のほう何かと気を付けましょう。
応援ポチ☆
予科練平和記念館、そして雄翔館にも一度 連れて行きましたが 覚えてはいないだろうなぁ。
死んだ親父が予科練の訓練生で、あと少し敗戦が伸びていたら、私は存在しませんでした(笑)。
「特攻」なんて戦法は、日本以外ではあり得ないでしょうね。よく「八路兵はすぐに逃げる」と云われてたようですが、
便意兵やゲリラ戦に特化して、逃げ回っているうちに日本軍が自滅したのですから、それが正しかったと思いますね。
外観と展示物の差がありすぎる
珍しいタイプの建築物だと思います。
きっと意味はあるのだと思いますが
そんな事を想像できないほどの圧倒的な存在感と美しさが
印象的な博物館です。
今日は出勤日なので
体調は若干悪くなると思いますが
買い物にも行かないとならないので
今日は外に出れる日と思って行ってきます。
隣に公演見たいのがあるなとは思ってたけれど
平和公園があったのですね。
遊具もある様なので
すずちゃんと出かけた時に立ち寄ってみたいです。
へるぞうさんの存在は奇跡的な事が重なって
この世に生を受けた命
大切に行きていく事を日々心がけてる事でしょう。
日本は一度成功したら
次も何の検証も無くても
同じ事を行うので失敗してしまう。
今の会社も同じような物だから
きっと日本人の国民性なんだろうな
戦艦大和みたいな
全く意味のない戦艦を作り今でも人気がある事が
私には信じられないです。
中国人民解放軍は日本と仲間だったはずなのに
戦争に勝った途端に日本から距離を置き
被害者だと言い出す訳が分からない国
中国兵は逃げるので
軍の最後尾に逃げる兵士を撃ち殺す軍が居るのも
珍しい中国軍の戦い方だなと思う。
戦場ではヤル気が無い人や臆病な人が生き残る
血気盛んな軍人は真っ先に死んでしまう。
テレビは逆のことをやってるので
一部の珍しいパターンが全てだと刷り込む教育は
絶対に間違ってると思います。
頭の悪いのが 上に居ると
どうしようもない世の中になって行くんです
変わった建築ですね
重いものが詰まっているだろうに
こういう建築は私は嫌いですわ
ぽち!!
それがこうした建物に・・・
あの時代を経て今があるのですがコロナ戦争と書かれた
雑誌がありましたが、これもそんなことですね。
変わったデザインの公共施設
お洒落なデザインですね✨
さすがいろんな賞を受賞しただけありますね❗️
応援👊😄📢
変わった建物ですね
デザインが素敵ですが
予科練平和祈念館ですか
特攻隊、昔の映画などでしか知りませんが
命を差しだすことが美徳と考えていたなんて
ほんと恐ろしいですね
それも考え深いです。僕らが子供のころは、まだその色合いが残ってたと
思うけど、殆ど関心も無く過ごしてしまいました。やはり戦争や震災の事は
考えて、平和のありがたみを肝に入れないとダメですね。
慚愧 懺悔 六根清浄を唱えながら自分を鍛え直して、が今の心情です。
ザーンギ ザンゲ ロッコンショウジョウ 唱えてると力もわいてくる気がします
仏教でも神教でも行われてるのが面白いですね。
私は昭和20年代生まれの戦後人です
戦争は知りません
ブログを拝見していると悲しくなります
もう自分の意志は無かったのでしょう
凄い時代ですね
父は職業軍人で数十年戦地にいたそうです
最後の階級は軍曹だったそうです
でも父は戦地のことや当時の事は一言も話しませんでした
ただ近所の冠婚葬祭で飲み過ぎて帰宅して寝てましと「〇〇君もっと頭を下げろ弾が当たるぞ」と寝言で言っていました
すると母が「おとうさん~また戦地の夢みてるよ」と笑っていました
そんな思い出があります
そうなんです。
頭がいい人が共産党の主導者になれば
社会主義国のベトナムやキューバの様な素晴らしい理想国家が
誕生するのです。
共産主義が悪い訳では無いんです
共産主義は素晴らしい思想の経済システム
資本主義はそれに比べると
良いところを探すのが難しいくらい
良くないシステム。
なぜ昔の人は共産党は
「働かざる者食うべからず。」と言うのか理解できないです
この言葉は資本主義の事を指す言葉ですから・・・
建築物と予科練がリンクして
気持ちが建築物に向かなかったのでしょう。
ここまでしないと戦争に関する
博物館に人を集める事が出来ないんです。
数カ所の戦争の資料館や博物館に行きました。
どこもガランとしていて
みんな興味が無いんだなと一目瞭然です。
ここは、この建築物があるから
いつも多くの方が来て見学してます。
悩ましい現実です。
日本は太古から軍事国家でした
弥生時代も鎌倉時代、室町、江戸
明治になる以前から
日本の軍事力は世界トップクラスです。
そんな国が開国してロシアと清と戦争をして
偶然にも勝ってしまった事から
根拠のない自信が付いてしまい
世界からは有色人種が列強国になることは
許されない事だった・・・
戦争は戦争の終わらせ方を先に考えて答えを出してから
戦争を始める会議をするのが
一般常識ですが日本は
気合い、根性、団結と
中身のない事ばかりやってた
日本が戦争に負けたのは戦力の差では無くて
今回の新型コロナと同じで
話がまとまらなくて最前線の企業や小売業
末端の従業員に大きな負担を負わせてしまってる。
あの戦争で日本は何にも学んで無いです
とても残念な事です。
内部も素晴らしいけれど
撮影禁止なので紹介できませんが
ここまでしないと人は戦争に興味を示さないです。
この外観があるから
いつ行っても入館者で駐車場は埋まってます
普通の戦争関連の博物館には
入館者は居ないです
デザインとは人の心を動かすのです。
戦争で死ぬ事が美徳だと
学校でも教育をしてたので
一般常識で当時は当たり前でした。
戦国時代などの昔の戦は敵を倒すのが
目的では無くて蹴散らすのが目的でした。
西洋は敵を殺す事が目的でした。
明治維新で西洋化した日本は戦い方まで
西洋の真似をして結局
最後は負けてしまいました。
日本人には日本人の戦い方がある事を
見失ってしまったのです。
戦争が最初は大好きでした
でも歴史を一つづつ紐解いて行くと
大好きから大きく心の変化が生まれました。
宗教は私も大好きです
神道と仏教が同居してる世界でも珍しいのが好きです。
私は仏教徒なので
神道が日本の固有の宗教だったので
仏教はよそ者です。
いくら良い事を並べてもよそ者が
本来日本に根付いてた神道を無視する事は
あってはならない事だと思ってます。
はじめまして。
私のブログに遊びに来てコメントまでありがとうございました。
あの当時は今と比べてしまうと自分の意思が無い時代に感じますが
それが当たり前の時代だったので
自分の意思で若者は家族を守り
自分の命を差し出したのです。
家族を犠牲にして自分が生き残る
それは今の時代でも出来ないと思います
基本的な奥深いところは今も昔も同じだろうと
私は思ってます。
鈴木さんのお父様は
言葉では言い表せないほどの
極限状態の最前線で戦った勇敢な兵士だったと思います。
過酷な戦地にいた方は
その事を家族には話さないです。
戦争の最前線は私は体験もしてないし
現場にいた訳でも無いですが
何が起こってるのか長い期間調べました。
インターネットが今は普及してるにで
格段に調べるスピードが上がりましたが
昭和の頃は情報が乏しすぎて詳しくは見えてこなかったですが
今は色んな情報がネットにあり
その情報が本当のことなのか調べて
少しづつですが戦争とは何かを
今でも調べてます。
こちらからもブログを拝見しに伺います
この様な話は尽きないですが
歴史ブログでは無いですが時々ゲリラ的に
歴史に触れますがいつもはホンワカした記事ばかりのブログですが
気に入って頂いたら嬉しいです。
ファッショナブルな建物と
予科練とのギャップに
戸惑いを感じています。
☆
外観と中身があまりにも違うのに驚いた記憶があります。
近くに雄翔館もあります。
私は戦後の生まれですが、戦争の悲惨さは母から長年聞いています。
戦争だけは繰り返してはいけませんね。
悲しい思いはしたくありません。
青空にデザイン賞をかき集めた予科練平和記念館が白黒でとてもすっきりです。
この建物はどこが玄関なんでしょう・・・
いろいろな悲しい当時の物体が飾られているのでしょうね。
マーコも戦後っ子なのでこのような特攻隊のことは教科書で美化された絵しか知りません。
コロナウイルスならできるだけ避けて通り抜けられると思いますが
特攻はお国のためと・・・必至のことだったのですね。変な〇〇〇〇でしたね。
若い命を大切にしてほしかったわ。
目の当りにしたら、唖然としてしまうかも。
たぶん、一生忘れられないでしょう。
死ぬことが美学・・・・・・悲惨な歴史は二度と繰り返してはならないです。
それは私も感じました
館内もすごく良い感じです。
きっと意味があるデザインだと思いますが
このデザインのお陰だと思いますが
人気のある博物館です。
ここにきた事があるのですね
印象的なデザインと館内の素晴らしさに
展示のリアリティ
全てが印象に強く残る博物館でした。
戦争はしたくて戦ってる国や地域は無い
全ての戦争は聖戦ですが
先の戦争も国同士の仲が悪くて
起きた戦争では無いし
日本が行った行動が世界を敵に回してしまった。
日本がとった行動は列強国としては
当たり前の侵略を行ったけれど
やり方が下手だったし
有色人種が列強国になる事が当時の社会では
許されない事情があった。
日本はしの全ての判断を間違えてしまった。
とても戦争を扱った博物館には思えないデザイン
そのインパクトは絶大な効力を出してると
私は感じてます。
この博物館の前を通るとき
いつもかなりの車が止まってます。
他の博物館ではそのような光景は見られないです。
入り口は下から数えて三枚目の写真の左側面に
色が変わった場所があり
そこが入り口です。
日本は本土決戦も視野に入れた国民総特攻を考えてました。
アメリカはグァム、サイパン、硫黄島、沖縄で
かなりの戦死者を出したので
本土決戦には後ろ向きでした。
日本はガダルカナル島の戦い
プレリュ島の戦い
硫黄島の戦いで大打撃を受けたけれど
それ以上にアメリカにも大きな損傷を与えたので
最後まで戦えば勝てると真剣に考えてたし
日本の原子力爆弾開発も最終段階に入ってたので
最後は世界中に原爆を日本は投下する計画があったので
アメリカはそれを阻止したかった。
日本は自分たちの正当性を言うが
アメリカから見た日本
中華民国から見た日本
ソ連から見た日本
私たちは日本から見た日本しか想像してないので
答えの幅が狭いのです。
今でも自爆テロが世界中で起きてる
死ぬと言うことは天国に行けると
教育を受けてるからです。
彼らは悪のために自爆テロを
起こしてる訳では無いので
話の論点がそもども違うのです。
戦国時代も自害する事が美学だった
日本にもイスラムと同じ死ぬ事で
神になれる思想があるので
平和ボケしてる現代日本人には理解できない行動なのです。
この建物は面白いですね。
デザインが奇抜です。
機能的ではないけど目を引きます。
戦争って何なのでしょうね。
人間が増えすぎることへの抑止的なものが働いているのだろうか?
素晴らしいですね。
私の方は、そういったのをほとんど見ないので
すばらしいなぁといつも思います。
応援ぽち。
奇抜なデザインが目を惹く
個人的には好きな建築物です。
戦争はよく調べてますが
人口を減らすほどの大きな戦争は過去には起きた事が無いので
人口増加の抑止的なために存在してるとは
私は感じて無いです。
私は美術が好きで
中でもグラフィックが大好きなので
商業デザインが好きです。
どんな商品でもデザインがある
肥料にも会社のロゴマークにも
デザインが無い商品はこの世には存在しないので
それが大好きです。
素敵なショットと解説から様子、雰囲気などが伝わってきました。
ご紹介、ありがとうございました。
新型コロナウィルスの感染予防、日々、大切ですね。
密閉、密集、密接をしっかり避けて、予防しましょうね。
応援ポチ。
新型コロナウイルス対策で
在宅勤務に切り替わりました。
無期限の勤務体制ですが
これで終息まで我慢を続けて行けたら
何とかなりそうです。