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茨城県鹿嶋市

鹿島城山公園

鎌倉時代から400年続いた鹿島氏

戦国時代に佐竹義宣から

鹿島氏をはじめ

鹿島地方33の武将は

花見に招待され

殺されてしまいました。

その後、城主を無くした

各地の城は佐竹義宣によって

次々と落城してしまいました。



今回は戦国時代の戦い方に

着目したいです。



戦国時代

曖昧な歴史区分ですね

どこから始まって

どこで終わってるのか

定義がバラバラ・・・

しかも戦国時代と言う時代区分は

無いんです。

室町時代から安土桃山時代に

またがる戦国時代

どこで区切るのだろう?


さて戦国時代の戦い方ですね

戦国時代は約100年間続きましたが

その間に日本の人口は

1.5倍に膨れ上がったんです。

100年間戦い続けたのに

人口が増えてる?

不思議ですよね。

意外と平和な時代だった事が

想像されます。




最初に書いた様に

鹿島氏は佐竹義宣に花見に誘われて

殺されてしまいました。

この戦術は良くあったことで

戦国武将は戦いたく無いんです

無駄な死者を出すのを避けて戦う

それが戦国時代の戦い方。


テレビで見る戦国時代の戦いは

関ヶ原の戦いと大坂の陣

関ヶ原の戦いは

東西両軍合わせて20万の軍勢で

戦死者は5千人と意外と少なく

1日で終わってしまった。

大阪冬の陣と夏の陣は

時代区分的には江戸時代に入ってからだから

事実上、戦国時代の内戦では無い。

それ以前の戦は籠城が主流の

心理戦が多く

大きな衝突はほとんど無かったんです。

なぜ戦わないのか?

兵隊は農民だからです。

農民が多く死んでしまったら

農作物が取れなくなるので

戦も農閑期に行われ

戦場も農地は避けて行われてました。

戦死者を多く出すと

領土内の産業が衰退するので

領地の維持が出来なくなってしまいます。

戦場に行くと死んでしまうと

農民が知ると誰も参加しなくなり

武将の支持率が下がってしまうと

言う理由もあり戦死者は出さない戦いを

戦国武将は行わないとならないんです。

実際の戦いでは軍勢の1割が死傷したら

後退します。

2割を超えたら退却し

3割を超えたら惨敗です。

戦場では誰かがやられたら

周囲の兵隊は逃げ出してしまう。

無駄な戦いを兵隊はしたく無いから

相手の兵隊とはあまり戦わないで

相手の大将目指して一気に攻めます。

テレビや映画で見る

兵隊同士が戦う光景は

ほとんど無かったそうです。



そう考えると戦国時代のイメージも

大きく変わり

人間が戦ってたんだなと

面白くなりますね。




THE ALFEE「恋人達のぺイヴメント」







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