茨城東海岸

難病を始め病気の宝庫ですが、出かける事と花や美術館など美しい物が好きです。

昨日で障害者施設の内勤が終わった。

施設長と少し話す機会がありました

施設長がまだ施設長になる前に

私は喧嘩をした事があった。

それは、まだ施設に入って半年ほどした頃でした

言い争いになり

私は「仕事をしないで帰る」と言って抵抗したな。

その後も、くすぶった日が続き

他の支援員さん達に支えて貰って何とか踏ん張った時期があった。

確執が生まれた、その支援員さんが

1年前に施設長に昇進して

それに反対した障害者の人たちの多くは

施設を去って行ったので

その時に私だけが確執があった訳では無く

みんな過去に争いがあった事を知った。

施設長になった支援員さんは

私の目には優しくなったと感じていたが

それでも、相変わらず怖い存在だった。

私の仕事は施設長との関わりが薄い部署だったので

平穏な日々を過ごしていましたが

施設長と喧嘩になったという

障害者の利用者の声は頻繁に耳にしてました。

そんな鬼の施設長と昨日は話をしていて

ふと顔を見ると涙が溢れそうになっている施設長が

私の目の前にいた。

鬼の様な施設長が泣いてるとは私も驚きました。

「障害者が一般就労するのは厳しい

その厳しい就活を乗り越えて一般就労した事は嬉しい。」と

施設長と握手を交わした。

施設長の手は柔くて小さくて暖かかった。

普通の女性の手だった。

厳しくしているのは

障害者が社会に出るために敢えて鬼になっているのかもな

施設長の性格なのかも知れないけれど

障害者の利用者は甘やかしたら手に負えなくなる。

私の彼女も1年弱、障害者施設の支援員をしていたけど

障害者に甘い施設だったので

障害者はやりたい放題で収集がつかない

ダメ人間製造施設だったと

彼女が勤めていた施設の評判の悪さは

障害者の中でも有名だった。

毎日毎日、障害者の利用者に振り回されて

私の彼女は悩んでいたな。

その事を施設長に言うと

「障害者と向き合うのは難しい

そんな仕事を私たちは続けてるの。」と言われて

体を壊さずにと言って

更に施設長は泣いていた。

「髪を染めに行くからね。」と

何度も何度も言っていたのが印象的だった。









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まん延防止によって

時間差出勤になっているので

今日も午後から出勤です。

退社するため今日で障害者施設の内勤出勤は最終日です。

来週は施設外勤務が2日入っているけれど

直行直帰なので事業所で働くのは今日で終わりです。

障害者施設では様々な仕事を一通りして

一般就労の訓練をしました。

2年前に入所した時は切ったり貼ったりの

簡単な作業から始まり

ゲーム機のクリーニングの仕事をした時に

綺麗にクリーニング出来てたのでしばらくは

ゲーム機関連の仕事がメインだったな。

その後、クリーニングをメインに

施設外のリサイクルショップ、スーパーの仕事も入る様になり

接客が上手だからと言われカフェ業務の仕事も

入る様になりました。

しばらくしてブランド品の販売部署に空きが出たので

そこに配属になってから一気に才能が開花しました。

美容業界にいたのでブランド品の価値や

色んなブランドを知っている事を評価されて

私がネットに商品を出品すると面白い様に売れて行くので

私も自信が付いてきて

ブランド品を日々扱っていると

昔の美容師時代を思い出して

いつの日かあのクリエイティブで華やかな世界に戻れたら良いなと

密かに思うようになったけど

無理だろうなと考えないようにしてたけれど

彼女は周囲から

せいパパは昔は凄い人気のあった美容師さんだったと

耳にする様になり

私の美容師復帰を願っていたのに

私は戻る気は無かったな・・・





心の片隅には美容師があったので

仕事でブランド品を扱い

彼女からの後押しもあって美容師として

社会復帰を決める事が出来ました。

彼女のきっと大丈夫と言われた事が

一番の決定打だと思う

自分一人だと美容師復帰はしなかったと思うな。




そんな職業訓練をした事業所勤務も

今日で終わりだな

さっき、私が出品した服とポーチが売れたから

出勤したら梱包をお願いと同僚からLINEが来ました。


ブランドの最後の仕事を頑張って来ます。









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茨城県水戸市

水戸石川郵便局 風景印

ハガキの風景印がかすれてしまい

コメントを頂きました、この様な対応は嬉しい。


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今回は先日

見に行った展示会の時に頂いた

うさくまシールの後ろにも押印をお願いしました。


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こちらにも押印して頂き

とても、嬉しかったです。




風景印のデザインは

第19代横綱・常陸山山谷右衛門像

全く知らなかったです。

わからないので調べてみました。

力士。出羽ノ海に入門。

明治32(1899)年入幕。

順調に昇進し、36年好敵手である梅ヶ谷と共に

第19代横綱となる。相手に相撲を取らせてから、

反撃に転じる相撲を得意とし、

柔の梅ヶ谷、剛の常陸山として角界の隆盛期を築いた。

150勝15敗22分2預131休。大正3(1914)年引退し、

出羽ノ海襲名。出羽ノ海部屋を角界随一の大部屋へと育て上げた。

力士の社会的地位の向上や国技館建設にも貢献した。

以下、水戸商工会のホームページ参照

武道館の敷地内に

明治の名横綱「常陸山谷右衛門像」が建っている。

第19代横綱、常陸山(本名:市毛谷)は

三の丸で産まれ、水戸中学卒業後、早稲田受験のため、

京都の叔父のもとへ。

しかし、本人は相撲人となることを終生の夢としており、

叔父に希望を打ち上げた。

叔父は京都武徳殿の初代館長で、

武術に対する理解はあったものの、

当時は芝居役者と相撲取りはいやしい職業と差別されており、

武家出身の谷は父の承諾を望めないものの、

叔父への説得を続けていた。

ある日、叔父が武徳殿の池の畔にある

約三十貫(112.5キロ)を指差して

「あの石を持ち上げることができたら望みを叶えてやる」と

いったところ、谷は書生姿で高下駄を履いたまま、

その石を軽々と持ち上げてしまったという逸話が残っている。

その後、当時の出羽海部屋を預かっていた

水戸出身の五十嵐に弟子入り。

18歳で初土俵を踏み、明治36年、23歳で横綱となった。

強豪横綱梅ケ谷との名勝負は今もって語り継がれている。

梅ヶ谷が正攻法と鋭い出足で追い詰めるものの、

常陸山自慢の豪力によって、

梅ヶ谷の必死の猛攻が一撃で覆ってしまう場合が多かった。

梅ヶ谷が前日の故障のため休んだことで

取り組みが不成立となると、

観衆の怒りが鎮まらず大騒ぎとなり、

検査役が土下座して

その場を収めたこともあるほどの人気取り組みであった。








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